地上の楽園――シャングリラ

11月5日から12日にかけて第13回京華投資視察団で北京、シャングリラ、麗江、深センを訪れました。ご存じの通り、中国株はこの夏未曽有の大暴落を経験し、目標の構造転換や金融改革にも少なからぬ影響を及ぼし、市場に大きな傷跡を残したと言えます。

構造転換はマクロの目標で、個別企業はどのように対応しているのか出発のギリギリまで訪問企業の調整をしました。お蔭で訪問先の北京では、「Avi China」ほか2社と、深センでは、「元征科技」ほか2社の合計6社を訪問することが出来ました。


ブダチョ国家公園

「いつも同じ処を回ると、自分はただのガイドになってしまう」と邱先生はかねてから仰います。今回も企業訪問のほか、以前から気になっていたシャングリラを見て回ろうと「地上の楽園」と言われるシャングリラとその隣、世界遺産の町、麗江をスケジュールに組み入れました。

「中国投資考察団」の時代からチベットや新疆ウイグル自治区、内モンゴルなど中国の省都所在地をすべて踏破していますが、雲南省については、昆明やコーヒー農園の保山、大理、少数民族のシーサンパンナなどを訪れていますが、シャングリラだけは心残りの場所となっています。

イギリスの作家ジェームズ・ヒルトン氏の小説「失われた地平線」に理想郷として取り上げられていることでその面影を確かめようとするのもきっかけの一つでした。


シャングリラ古城 巨大マニ車

「失われた地平線」は1933年に書き上げられたのですが、1929年米国から始まった世界的大恐慌は終息が見えず余所から資源を確保しようと第二次世界大戦に突入しようとしていた時代で、そのような背景で起きた飛行機の不時着で辿りついたのがシャングリラだったというストーリーです。

なぜ、そこが地上の楽園だったのでしょうか。そのような疑問を抱きながら私たちが案内されたのは、2007年にオープンした中国初の国家指定公園、1300平方キロの普達措(プダチョ)国家公園でした。標高3600m以上で、透き通るような湖が2か所、原始林や湿原が広がる、風光明媚とはこういう場所だと感じさせてくれる高原公園で、新鮮な空気を深呼吸し、遊歩道を散策しながら私の脳裏に蘇ったのはその日の朝見学したラマ教寺院の松賛林寺でした。標高3200m、小高い丘の上にそびえ立つエキゾチックな仏教(ラマ教)寺院で、その寺院の中には、ラマ教の最高指導者ダライラマと今は亡きパンチェン・ラマ十世の写真が法座に飾られているのです。帰り道に立ち寄ったチベット族の農家には、毛沢東の肖像画が飾られていたのも思い出すと、この地は1933年の「失われた地平線」から遡って数千年の間、世の中のすべての紛争と無縁で自給自足、悠々自適な桃源郷だったと納得したものでした。

そのことをシャングリラから麗江に向かう途中に立ち寄った揚子江の源流の一つ、金沙江の「虎跳峡」観光の際も裏付けられたように、昔バーター貿易で麗江からシャングリラへ通う唯一の山道、「茶馬古道」が現在も残っていることをこの目で確かめることができたのです。しかし残念ながら今麗江からシャングリラへの鉄道が敷かれている現場も目撃し間もなくシャングリラも様変わりするのかと思うと、無念ながら「地上の楽園」を後にしました。

*シャングリラや麗江の景色を一眼レフカメラで撮影したプロ顔負けのO氏のブログhttp://oka64.blog118.fc2.com/ にてご鑑賞ください。

 

 

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