日本進出の先駆者――ビーワイディ

今年の8月に88歳を迎える著名投資家、ウォーレン・バフェット氏ですが、8という数字は中華圏で縁起の良い数字なので企業買収の吉日なのかもしれないと株主総会で語っています。6月は中国株がMSCIに組み入れられることになっていますのでMSCI経由の中国株投資の可能性も否定できないと市場で見ています。氏はかつて中国石油に投資し、最高値で売り抜けたことでも有名な話ですが、現在もなお保有しているのは電気自動車のビーワイディです。 

バフェット氏が保有する唯一の中国株、それがBYD1211)です。

保有の理由についても、これまでのコラムで触れていますのでご参照ください。そのBYDは日本に進出してきていることも知られていることで、なぜ自動車の先進国に進出しようとしたのか、私も関心があって先月BYDの日本法人、ビーワイディジャパンの劉社長を取材し、進出のいきさつを聞いてみました。 

まず、日本進出のいきさつについて劉社長は次のように紹介してくれました。 

BYDは2002年に日本で事務所を立ち上げ、2005年に法人格化した。

BYDはもともと電子部品のメーカーだったが、現在はIT、新エネ(太陽光や蓄電)、電気自動車(EV)、雲軌(クラウドモノレール)など4大産業を抱えるメーカーまで成長した。

2002年バッテリーの製造を始め、ニッケルやリチウムイオン電池など日本の家電メーカーが最盛期の頃に、名前の知られるメーカーのほぼすべてがBYDのお得意様だった。当初はOEMで顧客の設計通りに請負生産したのが、その内ODMに変わり、例えば、東芝のノートPCODMで作ったことがある。当時の中国はまだほとんどが生産の代理で、「世界の工場」とも言われるが、人件費が安いというのが共通の認識だった。 

2008年、自動車製造業に参入し、その2年後、群馬県にある金型大手工場を買収した。この買収は当時日本で大きな反響を呼んだ。それまでもたくさんの企業買収が行われたが、しかし日本が最も得意とする自動車系列の工場の買収はやはり「衝撃的」だったのか、控えめに買収を行ったつもりだったのが、やはり経済紙のトップ記事として取り上げられた。

それまでBYDは日本でどんな仕事をしたかと言うと、2003年に家電大手からリチウム電池の電極材料とパッケージが同社取得済みの特許を侵害したと提訴されたのだ。当時、中国企業が訴えられたケースはよくあったことだ。多くの場合、和解で終わったのだが、しかし、BYDは違った。何が違ったかというと、BYDは最後まで頑張って2005年この大手家電メーカーに勝訴するという判決を勝ち取ったのだ。

今ほど名前もあまり知られていない中国の一民間企業が世界的企業に勝訴するなど、中国の知的財産10大ニュースの一つにまでランクインされたのだ。その頃から多くの日本の電子機器産業の企業が中国企業を注目するようになった」 

BYDの日本進出の後ですが、2013年から以降中国は「一帯一路」構想が打ち上げられました。それまでの「中国進出」または「日本進出」から日中提携で第三国への進出が最近叫ばれるようになっています。

 

 

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