「百聞は一見に如かず」

石家庄には、石薬集団のほか、華北製薬、石四薬集団(旧利君国際)など大型の製薬会社はいくつもあります。計画経済の時代、東北地方には重工業、華北地方には製薬会社などという名残で、製薬会社がこの石家庄に数社も集まっています。

一方、兵隊の駐屯地としても有名で、数年前、日本人数名が駐屯地にカメラを向けたということで、拘束されたことを日本でも報道されています。鉱山や製鉄など大気汚染と直結する工業地帯で行くのには躊躇しましたが、思いのほか、見る価値のあるところでした。

2010年12月に、考察団で日帰りで一度訪問したことがあります。短時間の滞在でどんよりした空気以外あまり印象に残るものはなかったのです。今回敢えて2泊したのは、企業訪問のほか、「背水の陣」の古戦場など史上に残る数々の史実の発生地だということがわかり、見てみようという思いもあったからです。

石家庄でのホテルはワールドトレードプラザという少し年代を感じさせてくれたホテルでしたが、その真正面に大理石建築の「河北博物館」が聳えています。限られた時間で展示物を見せてもらいましたが、三国志以前の漢の時代やその後の隋、宋の時代の出土品がたくさん展示され、参加者は個人的にもぜひ再度訪問したいと、日本からの行き方を詳細に聞かれました。

背水の陣の主戦場は市内から30キロほど(ガイドブックでは17キロだと)離れたところにあり、ほかの観光地とは違い、観光客は私たちのほか、物売りも売店もなく、地元住民の格好をした人が2、3組程度で、観光地としてはまだ認識されていないという印象でした。

劉邦の主将、韓信が3万人の兵を、ここ井陘口で綿河という川を背に布陣し、兵士に決死の思いで趙の20万人の兵を迎撃し、全滅させたことで有名な話ですが、秦の始皇帝が巡礼や地方視察の時に利用されたという井陘古道は、清まで国道として使われ、現在国家指定文化遺産として保護されています。

しかし行くのには路線バスがなく、専用車をチャーターしかありませんが、鉱山が隣にあり、夕方になると、タンクローリーや大型トラックが行き交い、延々と数キロも渋滞に巻き込まれました。トラックに積んでいる鉱石を見てみると、セメントや鉄鉱石の原料になるだろうと公共事業がまだ終わらないなと一行が話し合っていました。

石家庄に出発する日の朝、北京通州区の張家鎮にある四環医薬の北京工場を見せてもらいました。敷地面積10万平米のところに、本社の管理部門や研究棟、工場、社員食堂など数棟立ち並び、昨年末に完成し、今年の1月引っ越しが完了というまだピカピカの施設で、総勢400人が働いていると紹介されましたが、私たちの目には人もまばらで、本当に稼働しているのか参加者も不審に思いましたが、最終工程のパッキングラインに海外投資家として私たちが初めて迎え入れられました。案内役の予算や品質管理担当副社長の袁氏は「(工場は通常通り稼働し)取引停止は生産ラインとまったく関係がない」としっかりした口調で語ってくれました。「百聞は一見に如かず」とはこういうことだと北京と石家庄を後にしました。

熱烈歓迎 京華創業御一行様 石薬集団
「熱烈歓迎 京華創業御一行様」 石薬集団

 

 

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