「中国製造2025」のスタートラインに

今年3月の全人代での「政府活動報告」で初めて「中国製造2025」構想が打ち出されました。具体的な内容について、5月8日付けで国務院名により発表されました。 

「中国製造2025」が誕生した背景には、もちろん内外情勢の変化によるものと考えられます。 

まず、アメリカのオバマ大統領がリーマンショックによる金融危機を教訓に2009年に「米国製造業促進法案」(US Manufacturing Enhancement)を提出し、翌2010年8月、これに署名し法案化されました。 

これにより多くの製造業企業がアメリカに「回帰」されたわけですが、中国からもご多分に漏れず多くの製造企業がアメリカに還流しています。 

 
重慶機電 本社ビル   PHOTO by S 
 

一方、中国の人件費高騰や原材料の値上げにより、アメリカに戻れない企業(例えば、ナイキなど)はベトナムやタイ、ミャンマーなどに移しています。世界の工場として、作ることが得意な中国ですが、研究開発力がアメリカに遠く及ばず、また人件費に置いて周辺国にも負けることになると、得意分野はすべて取られる危機感から生まれたのは「中国製造2025」だったわけです。 

第11回京華投資視察団が訪問した重慶機電はまさに「中国製造2025」のスタートラインに立った企業の一社です。 

6月16日、北京から朝の便で空路重慶に入り、その足で北部新区にある重慶機電に向かいました。案内された同社本社ビルは20階建てある高層ビルで、エントランスに入ると、まず目に入ったのは、「一帯一路」と「中国製造2025」を説明する2枚の大きなボードでした。中国の国策である「一帯一路」と「中国製造2025」構想に則った同社2020年までの産業計画が公開されています。 

重慶機電5ヶ年計画   PHOTO by S 

会議室に案内され、総経理の余剛が副総経理と董事会秘書、IRマネージャーを連れて迎えに来てくれました。 

説明では、2007年に設立され、2008年に香港市場に上場したとありますが、元は言えば1955年にできた国営企業で、機械や自動車部品を作る会社で、その更に前身は、蒋介石時代、臨時首都として重慶に首都機能を移転した時に、上海や南京にある軍需工場の一部を移転したものと推測されます。かつて考察団で重慶鉄鋼を視察したことがありますが、参加者の一人が工場を見てバスに乗ったら、「あの機械は50年前に日本で使っていたものだ」と工場見学の感想を漏らしていました。 

同じく国営企業だった重慶機電はどうかと思ったところ、現在自動車部品、電力設備、汎用機械、NC旋盤とファイナンスサービスの4+1の業務を中心に展開していると説明されました。 

自助努力で、製造力のグレードアップは可能かと思ったところ、提携または技術パートナーにアメリカのCUMMINSやドイツのZF、WABCO、KNORRなどがあることを教えられ、現在中国の企業が大々的に進められている海外企業の買収や提携などで技術力の向上を図っていることが同社でも進められるんだなと思わず納得しました。

 

 

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